天藤製薬の歴史

天藤製薬の歴史は、痔疾用薬の歴史そのもの

200年前に薬種商を創業した時から、また、約100年前に「ボラギノール®」を創製し天藤製薬を創立してから現在まで継続して、『患者様の生命や健康を第一とする』ことを、『製品品質』と『情報品質』の両面で実践してきました。

なぜ、薬種商を始めたのでしょうか?
参拝客の期待に応えようとしたからです。200年前に、京都の北西100キロにある元伊勢神社の門前に、雑貨商『天津屋藤助』を始めました。参拝客のお話を熱心に聞くうちに、皆様の健康維持にお役に立つ和漢薬を揃えて薬種商『天藤』を始めるに至りました。「お話を親身になってお聞きしたこと」も、「揃えた製品の在り方」も患者様・お客様を中心とする製品品質・情報品質の始まりと考えています。
なぜ、痔疾用新薬第一号としての「ボラギノール®」は大学病院で創製されたのでしょうか?
後列左端 大槻欽三
1921年頃、日本には西洋医学で評価された痔の医薬品は存在しなかったからです。始めは京都大学病院の院内製剤として開発されました。有効成分の臨床試験データは、学会誌にも掲載されました。当時としては画期的なことでした。そのとき開発に携わったのが京都大学病院の薬剤師をしていた当社の創立者・八代天津屋藤助である大槻欽三でした。
なぜ、製品名は「ボラギノール®」なのでしょうか?

当時の製品の有効成分「紫根エキス」から名付けられたからです。それは「ムラサキ」という紫根染めにも使う植物の根から抽出した成分です。植物の科名「ムラサキ科」をラテン名で「Boraginaceae」というので、「ボラギノール®」という商標として名付けました。小さく白いきれいな花が咲き、小石のような硬い種ができます。

なぜ、「天藤薬化学研究所」として発足したのでしょうか?
京都大学病院の薬剤師を退官した大槻欽三が、実家の天藤薬店を天藤薬局に改組するとともに設立したのが天藤薬化学研究所です。京都大学病院の要請を受けて院内製剤を内務省承認医薬品として作り出すことになりました。新しい価値を薬化学として研究から作り出そうとした気概が込められているからだと思います。
なぜ、坐剤だけでなく種々の製剤が製造されたのでしょうか?
常に患者様の治療に適した製剤や使いやすい容器を開発しようと心がけていたからです。大正・昭和の時代にはカカオ脂を使った坐剤やワセリンを使った軟膏等が主に製造されました。戦時下の原材料供給の難しい時代には、ラノリンを使ったクリームやハゼロウを使った坐剤などの開発を行いました。また、昭和の初期には包装形態も紙箱入りだけでなく、缶入りの製品や現在の注入容器に充填したものも開発されました。
なぜ、「ボラギノール®」は長く支持されているのでしょうか?
200年前のお客様を原点として影響を受け、それ以来、健康でありたいと願われる患者様のお気持ちを大切に「ボラギノール®」を作り続けているからだと思います。4つに成分を厳選して製品化するなど、安全性と有効性に対してこだわり続けているからだと思います。
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